絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 某日の昼、某小学校で演劇やってきたのです。
 デキもよくて、子供らも楽しんでくれた、よかった。
 でもぼくは前夜に屋根裏さんで宅間守の裁判傍聴記録ですか?それを読んでいたので、ちゃんと声に出してゲラゲラ笑いながら読んでいたので、演じてるあいだ以外は、ずっと頭の中で「わはははは!こらおもろい」って言ってました。ごめんなさい。
 校門でポロっと言ってしまい、後輩にもんのすごく怒られた。

 それで、殺人はなぜいかんのか、という話になって、面白かった。「考えたことない」って言うから、佐世保カッター少女になりきって「なんで殺したらだめなん?」って聞いてみた。途中で被害者少女になって「何で殺されなきゃならんか」と聞いて、問い詰めていたら、入り込んだ役者の娘に、泣きながら「死んでしまえ!」と叫ばれた。
 いくら問い詰めても「あたしが悲しい」「迷惑だからダメ」しか言えない人がいたので、少し怖かった。
「なんで殺したらいけんの、殺さんと、いつまでもつらい」
って言いながら、ぼくの中では、殺したらいけない理由はあるんだけど、それは理性ある人間にしか通じなくて、宅間守のようなひとには、通じないので、困ったなあ。と思っていた。

 殺すとき、殺すひとは、自分の方が価値が高いと思って殺すので、もし万が一「殺そうと思ってる」って相談を受けたら「殺そうと思っているお前は、殺される奴よりも価値がない」と答える、ぼくは。だって殺さなかったら笑っていいともに出て「子供のころいじめられてたんですよー」って全国放送でそいつの名前言えるかもしれんのに、殺したら言えん。死のうと思っている奴に「お前が死んだらよろこぶ奴がいるから、お前はそいつに一生かけて復讐しなきゃならん」って言うのと同じだ。
 そういう話を、小学生のときにしていたので、ぼくはまだひとを殺してないし、死んでいないと思う。
 でもほんとうは違う、死ぬひとも、殺すひとも、ぼくには想像もつかないくらいの絶望があって、タモリさんに楽屋で「天皇のモノマネ見せてください!」って言うことなんか吹っ飛ぶくらいの絶望があって、殺したり死んだりするので、どうせ生きてる奴の世迷言レベルなんだと思う。
 ぼくらにできることは、せいぜい物語のなかで死んだり殺したりして、そういうことを考えたり、感じたりするだけだ。
 とかそういう話を帰りの電車の中でした。

 あと舞台がうまくいったので「世界が全ておれを祝福している」とか「今この瞬間のために世界は存在している」とかそういう窪塚くんみたいなことも言った。早くよくなるといいですね。