絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 映画『コンクリート』の話続き。
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コメントより

成田光 『被害者役をAV女優がやるかどうかという問題ではなく、遺族の許可なく勝手に事件を映画化してるというのが問題なのではないでしょうか?それと実話を元にした暴力的な映画でも、遺族が望む事ならこれほど大きな騒ぎにならなかった様な気がします。実際テレビで「桶川の女子大生殺人」も遺族の許可をとったためかなり行為的に取られたのでは?事件時、遺族と被害者が散々報道被害にあったにもかかわらず、ここでまた蒸し返すと言うのには、疑問がのこります。少年犯罪を取り扱うなら別にこの事件の様に「女子高生」「レイプ」「監禁」などという過激な言葉のない事件も多いのでは?果たしてこの事件の被害者が男だったらこの映画会社は映画化したでしょうか?』

 映画化されていないレイプ殺人など、いくらでも存在する。テレビで取り上げられ、加害者のその後がメディアに記録されている事件だからこそ商売になるのだ。そして、テレビ局が「お宅の娘さんを被害者として追悼しますので放送していいですか?」などと許可をとるわけがない。遺族が望もうが望むまいが、メディアはそれで飯を食うのだ。そして、たとえそれが許可を得て、善意で作られた映画だとしても『パッション』のように完成してみれば単なる残酷血みどろショーになる可能性は高い。
 もし誰かが「高尚な意図で作られたポルノではない」という意味で『コンクリート』を否定するのならば、僕はそいつの濁った目をえぐってやりたい。内ゲバこそ最も忌むべき行為だ、低俗が低俗を批判するなど!戦うべき敵はどこにいるのか。言論封殺にも低俗映画にも、貴賎などない。高尚な意図のもとに作られたポルノ映画も、下賎な欲望のもとに行われた焚書も、同様にくだらない。
 僕は『コンクリート』を観ていないし、これからも観る予定はないけれども、それが低俗であるという理由で封殺される世界だということは声高に言いたい。善意の袋叩きによって、悪い大人は職を失いました、と子供に教えたい。こういう事を言う善意の人たちによって、今までもたくさんの映画が消えていったんだと教えてやりたい。

あなた方の言い分は、子供達を変質者から守るために活動している保護者にむかって
「変質者を排除している!」と非難しているようなものです。
いけないものは、いけないんです。
http://www.geocities.jp/namen_nakonkurieiga/index.html

 だから映画にするんじゃないか。ばかか。どうも前から思っていたのだが、こういう運動をする人は現実と虚構の区別がついていないのではないか。
 あと、成田光氏の
>被害者役をAV女優がやるかどうかという問題ではなく、
という言葉には、放送局などに送られたというFAXの文面を引用して答えよう。

(しかも被害者を演じるのはAV女優)という悪質きわまりない作品

いけないものは、いけないんだってさ。