絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 僕は人間を類型化して分類するのは大嫌いなんだけど、それは僕がすぐ物事を分けて考えてしまうからだと思います。同属嫌悪と言うのでしょうか。大人と子供、男と女、右翼と左翼、信仰者と無神論者……全て個人としての違いでありながら、何かの類型を求めてしまう。そして、理想としての平等主義―人間に差はない―が徹底できないから、その間にいる人を、若者、おかま、ノンポリ、不可知論者を、過剰に尊敬してしまうのです。
 けれどもそれは、世界を三分割しているだけで、ちっとも平等などではないのでした。そして、その三分割こそが、もっともバランスのとれたかたちだったのです。
 id:matterhornさんの文章から感じたことを、自分に当てはめるとこんな感じになりました。敬語にもなろうというものですよ。

 ちなみに僕は「なろうというもの」「いかにも」「まったくだ」「まいったね」といったようなことばを日常会話でも使うので、ちっともバラエティ向きではありません。不自然。