絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 昨晩『ジェイソンVSフレディ』を見て、なんて良くできておるのかと思ったわけですが、両作品の大切な部分を合わせたら自然とこうなったのかなあ、とも思うのです。なんだろうこれ。
 というわけで、感想書きます。
エルム街の悪夢』シリーズで良作と呼ばれるものに共通しているのは、このような形式です。
 主人公は父親との関係に問題のある少女。主人公の彼氏は影のある男。少女はフレディにおびえるが、武器をとって戦うことで、自立を知り、父親との関係を修復/破壊=解決する。夢の中に現れる殺人鬼フレディ・クルーガーは、少女を責める父親であり、世間であり、処女である主人公にとっての、内なる"敵"なわけです。
 では、対する『13日の金曜日』シリーズに共通するのは何か。それは、性的に奔放な若者に対する憎しみであります。母親の愛に包まれて、殺人を続けるジェイソン・ボーヒーズは、セックスにふける警備員の不注意で、童貞のまま死にました。
『ジェイソンVSフレディ』は、短く整理された脚本の中に、2作品の主要素を全て詰め込んで、完成させた奇跡のような映画です。
 けれども、それは約束されたものではなかったか。
 処女と童貞(精神的な意味においても)は、同じように淫蕩な世間に抗いながら、決して愛し合うことはありませんが、その間には、友情のようなものが生まれるのではないだろうか。
 それとも、それは、童貞の見た、夢なのか。
 童貞ホラーと処女ホラーの奇妙な融合、それゆえに理想の完成度を持った『ジェイソンVSフレディ』を、僕は愛します。
 ああ、ほんとうは「戦う女性とホラー映画」「『ドーンオブザデッド』のほんとうの魅力」「『28日後』はなぜ低い評価を受けるのか」といったネタにもからめたいのですが、眠さゆえに、メモにとどめておきます。