絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

回転ドアで人が死んだ

 六本木ヒルズには一回行ったことがあります。その時の感想は「こんな仕事で何千万円ももらえて建築デザイナーって仕事はおいしいなあ」という偏見に満ちたものでした。わかりにくい動線、意味のない段差、広い無駄な空間。新宿都庁や都営12号線などは、ビッグブラザーに支配された近未来を舞台にしたSFのセットかと見まがうほど。
 どうやら、人間というのは、支配する側にまわると、そうゆうのが気持ちよく感じるようになるらしい。四角い!とか灰色!とか、無駄!というものに何億円も使うのが、たぶん気持ちいいのだ。確かに支配する側から見れば、不定形でカラフルな有用物体なんてわけのわからないものは怖く感じるのだろう。本なんて燃やしてしまえ。
 でも、僕は、そうゆうのは映画の中だけでいいなあ、と思う。

 ネットでは「回転ドアは危険」という意見が多いように見えた。でもそれって「割り箸は環境破壊」と一緒だよなあ、違うかなあ。自動車の方が危険なのだから禁止にすればいいのになあ、僕は自動車が近くに来るたびに身構えますよ?危険なのは回転ドアじゃなくて、回転ドアでしか出入りができない構造の方。
 で、もうひとつ「親が悪い」みたいな意見もあるけれど、それって関係あるんだろうか。個の問題と公の問題がごっちゃになってないだろうか。僕は自分と相手の相互不注意でバイクにはねられたことがある、頭蓋骨と鎖骨を骨折して一ヶ月入院した。だから、事故は不注意と偶然で起こる、としか言えない。不注意の代償は払った、子供が死んだのだ、しょんぼりしているに違いない。だからどうした、それと大型建築物のデザインが変だというのは全然関係ない話だ。