絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

てきとうなことを書くためにここを借りたのでてきとうなことを書くけれども先日飲んだときに同席した女性が乳のサイズの話をした時にどういうわけか僕は「アマゾネスみたいに片乳を切り落として……」とコメントしたわけで記憶がなくて意味がわからない。何故私はそのようなコメントをしましたか?アマゾンネスとゆうのは、ギリシャローマ神話に出てくる女傑一族の名前で、男児が生まれたら殺して、種は他の部族の男を狩ってくるとか、弓を引くために右乳を切り落としていたとか、そういう伝説の、今調べたら[a(否定辞)+mazos(乳)=「乳無し」]なんだそうですよ。だから、どのような流れでその話になりましたか?その場でもわたしは他の列席者に「なぜアマゾネスの話になるのか」と嘲笑された記憶があります。その話とは関係なく私は「括弧笑い」で粉飾された侮蔑をネットで受けたように感じました。そのような文章を目にしました。皆さんは侮蔑することで笑いを生みますか?それが好きですか?わたしはそれが嫌いです。わたしは受けた屈辱を忘れません。わたしの存在をないがしろにする者や、わたしを都合よく利用しようとする者に、わたしは敵意を抱きます。わたしを笑いの道具に使うことを私は喜びません。わたしを陰で笑う者の爪の間には、おぼえのない黒髪が挟まるでしょう。取っても取っても黒髪は爪の間から消えない。上の口蓋にも長くて黒い毛が張り付きます。