絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ビデオゲームは「努力」しない人間にまで達成感を与えちゃいけない。
 遊びには努力が必要だ、どんな遊びでもルールをおぼえてうまくできなきゃ面白くはならない。努力のいらない遊び、それはドラッグだ。ドラッグに努力は必要ない、全てが自動的に、自動的にどこか楽しいところへと連れて行ってくれる、それがドラッグだ。
 娯楽産業というのは、売人とジャンキーの関係を作り出せば成功なのかもしれない。そして世の中はそんな関係ばっかりだ。なのに、誰も自分をジャンキーだとは思っていない、まるで売人と対等なふうに「今日は効きが悪い」だの「最近のヘロインは質が落ちた」だのと愚痴を垂れる。まずは達成感だけを与えられている情況に疑問を感じなけりゃならないのではないか。
 そして勘違いしたジャンキーばかり相手にしている売人は、やがてジャンキーに成り下がる。これは本当だ。
インチキがわからない圧倒的多数の人たちが彼らを認めたときには、我々は少数派として発言力を失い、彼らがほしいままに文化や政治や経済を搾取するのを見ているしかなくなってしまう。そうなってからでは遅いのだ。
 でもいくら叫んでも圧倒的多数には届かないのだ。なぜならみんな、叫び声は嫌いだから。あの時代ドイツでナチが支持されたのは、国民が第一次世界大戦の悲劇を「自分たちが招いた」と考えたくなかったからじゃないかと思う。誰も自分たち一人一人の言葉や行動が原因で世界が悪くなるとは思わないのだ。考えることを放棄したり、にんげんだもので済ませたりすることが、どれだけ不幸を呼ぶのかは、誰も教えてくれないのだ。
 自分の人生を見れば、不幸の原因は、かしこくなかったからだってことが、わかるのに。
 やがて、そうなったときに、原因に気づいても、きっと彼らは誰かのせいにして、全てを忘れようとするに違いない。この国の総理大臣を見ていると、そう思う。

参考
http://www.post1.com/home/hiyori13/other/penguinjunky.html
関連リンク先追記
http://d.hatena.ne.jp/Hayashida/20040311

 こんな文章をちゃんと読むような人はそれなりの考えがある人だと思うので、問題は読まない人にどう伝えるかってことなんだけども。自分の立ち位置をどちらにも置けることが、理解を進める第一歩だと思います。売人であり、ジャンキーであり。