絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 上記の「親しい人がすべきこと」という言葉は、昔、テレビ番組「えびぞり巨匠天国」に審査員で出ていたデーブ・スペクターが言った言葉「どんな映画にでも、必ず二人の理解者がいる。本人と、そのママだ(要約)」から影響を受けてるなあ、と思った。会場も言われた人もキョトンとしていたよ。批評も映画も同じ「表現物」だと思うので、みんなもっとシノギを削ってほしい(贅沢)。対象となった映画よりも面白い嫌感想をネットで読んだら僕はシャッポを脱ぎますよ。

 ↑なんか…とても……偉そうですね…何様のつもり…でしょうね…ごめんなさい……。
 結論を書いてしまうと…イノセンスは様々な隠喩暗喩をちりばめてあるので「見る人の数だけ解釈がある」という押井監督の発言でケリがついてしまうんですが……だから、わからないとか期待と違うと言う人は、単なる茂みを写した写真を見て「霊が写ってないじゃないか!」って怒ってるみたいな……霊がいると思えば幽霊の顔が見えて、いないと思えば単なる葉の影に見えるような、そんな複雑な光と影を写した写真は、霊が写っているかどうかはまったく別として、美しいのではないかと……映画全般に言えることですが……どんな映画を観てもつまらないと思う人は……映画という形式の作品鑑賞に向いてないのでは?…そういう人は映画をみなければいいのではないでしょうか……私見ですけれども……あっ…また偉そうですか……?すみません…霊でもアウラでもスピリットでもイデアでもゴーストでも何でもいいんですけれども…本質論みたいなものが苦手なので……自分の本質と向き合うのは怖いし……少し数日間調子に乗っていたみたいなので…この一文に目を通してもらえれば…僕の言いたいことは伝わるのではないかと…思い…ます