絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 以前「ダブルスタンダードを擁護するのは宗教と同じでは?」と問われて「擁護ではない」なんて反応しましたが、それは話題にしたダブルスタンダード町山智浩さんの「大江健三郎の『死者の奢り』はサルトルの『嘔吐』をパクったうえに死体洗いのアルバイトなんてウソを鵜呑みにして書いている。そんなものが最高権威の賞をとる文学なんてくだらない」というような文章だったからです。この文章の議題は「調べないでものを書くのはいけない」というジャーナリズム的な視点から生まれたものであって『死者の奢り』が文学的にどうかは関係ないのに、町山さんは『嘔吐』をパクッたという「権威の引用」をしてしまった。
 それに対してなぜか僕にリンクを張って「町山はダブルスタンダードだし間違いも書いてる」という批判をした人がいて、僕はそれに対して「文学全体に期待するから批判が生まれるんじゃないの」と反応したのですが、よく考えたらこれは間違い。
 問題は大江健三郎を批判されたところにあったのですね。
 調子外れな返答をした僕に対して、リンクを張った彼はコメントで「ダブルスタンダードを擁護するのは宗教的だ」と言いました。
 ダブルスタンダード擁護=宗教じゃ単純化しすぎです、これは「乙女心」と言ってほしい。彼が大江さんの仕事を非難されてムカっと来たのも乙女心です、じじつ『死者の奢り』の死体洗いと『変身』の虫化を同じ不条理ゆえの超常現象として扱うのはちょっとズルなわけで。
 乙女心というのは、共感することですから、バトーが素子を忘れられないように、衝撃を受けた作品や人にセックスの介在しない恋愛感情を抱くのは当然なのかもしれません。

 あきのそら ゆれるおとめの イノセンス

おそまつ
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関係ないけど検索で見つけた「あの名作文学がライトノベルだったらスレ現状報告」
http://ww6.et.tiki.ne.jp/~czar/neta/lightnovel.htm
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コメント

 うーん、変身と死者の奢りの不条理の違いは、変身の場合は明確に不条理そのものを打ち出してるのに対して、死者の奢りはミステークと解釈できる不条理だ、ってことで、確かにずるいといえばずるいけど、でも死者の奢りはあのイメージが必要条件ではあるので、勘弁してください。まあ、水槽はいいけど、アルコールじゃなくて何か特殊な保存液っていう設定にしろってことですねようするに。あれを貶すなら、嘔吐持ち出さなくても単体で貶せるんですよ。そして、その場合だったら僕はツッコミいれないです。調べないでものを書くの全般がいけないというよりは、他者のあら探しをして貶すなら、その貶すために使う武器となる部分だけでも調べておいてくれないとなあということです。その上ダブルスタンダードじゃ、どうみたってツッコミ待ちかなとか思っちゃいます。それと、ここでいうのはなんですけど、多分アサクサさんは、僕は普段から「宗教」という言葉をつかってるときは「不合理なものに対する反応体系」くらいの意味で使ってて、宗教システムについてどうこう言うときは具体的にカソリックとかって名指しで言ってるのを見てるはずなので、僕が宗教を差別的な用語で使ってるわけじゃないのは知ってるはずじゃないですか。乙女心でも宗教でも僕としては同じ意味ですって。って、こんな場所で僕のほうが宗教とかいう誤解を招きやすい言葉を使ったのは、それはまずかったですな。ここにリンクを張ったのはここからみたよーという意味で、あそこを見てる限られた人に対しての書き方と考えてもらえば、特に深い意味はないと言うことは理解されるとおもいます。って、このコメント欄って表示文字数少ないから文章として変になってたらごめんなさい。
 あと、町山さんは、死体洗いを小説にしたからバカにしたんじゃなくて、アルコール水槽に死体をためてるっていう設定を科学的にありえないってバカにしてたんだとおもう。ちなみに、死者の奢りは死体をゴシゴシ洗ったりしません。古い水槽から新しい水槽に移すバイトの小説です。ただ、彼の結論部の「要するに、大江健三郎のこの小説は口からでまかせのデタラメなのだ。」っていう結論に関しては、「うん、小説って口からでたらめですよね」って、異論はないです。焦点を絞り込むなら「ダブルスタンダードで批判するのはいけないよ」が一番のところです。

 長いよ!僕は町山さんではないので、批判は町山さんの目の届くところでしてほしかった、というのが本音です。今回のやりとりはまとめて別項に入れます。回答してくれてありがとう。