絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

ごりやくとばち

 今日は、友達のアッコさんと片山と僕とで、成田山へ初詣に行きました。もちろん僕は無神論者ですから、行くだけで、お参りはしませんでした。だって、信じてもいないのに拝んだら、仏さんに失礼じゃないですか(?)。じゃあ行くなって話なんですが、それはそれ、これはこれ。人の波に呑まれながら、石段を昇り、賽銭箱に貯まった小銭を横目で見て、くじもひかず、帰路につきました。
 
 さて、役者も坊主も根は同じ、口のうまい乞食でございます。ありもしないものを、あたかもあるかのように見せる。その罪深き業のすぐれた者が、匠と呼ばれ、僧と呼ばれるのです。ただし、近代の役者は、一代、もって二代のはかない乞食ですが、坊主は何百年もの間安穏と続く安定した乞食であることをお忘れなく。成田山の石段を、不機嫌そうな顔でしゃなりしゃなりと降りて見せる坊主共を見て、僕はその認識を深めたのです。
 歴史に甘えた大根役者共が、と。
 
 とまァ、そんな事をブツブツ言いながら、出店の居並ぶ参道を歩いていると、小腹がすいたのに気づきました。
「なァアッコさん、腹ァ減らないかい?」とぼく。
「ほぉ、言われてみればそんな気もするかねぇ」とアッコさん。
「どうだい、ちょいとそこのてんぷら屋で一杯」とぼく。
「ははァ、名物にうまいものなし、と……」とアッコさん。
 そうして、なんとなくのれんをくぐったてんぷら屋で、えび天丼九百円を頼んだら、砂糖醤油がかかった小指みたいに小さなえびの唐揚が、ご飯の上に乗っているだけの、不思議などんぶりものが運ばれてきたのでした。
 ぼくは、モソモソと唐揚を食べながら、ばちが当たったのかなあ、と思いました。でも、お参りをしたアッコさんも、ぼくと同じ不思議どんぶりだったので、神も仏もないもんだ、と、思い直したのです。
 
 観光地なんてきらいです。