絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

 昨晩は竹田君と根本敬の映像夜間中学に行った。映像夜間中学というのは、毎月二回、ビデオと講義で因果宇宙の断片を知ることのできる、素晴らしいイベントのこと。会場で上野川さんと熊谷さんに久々に再会。お互い来るべくして来た、という感じ。以下おおまかな内容。

  1. いきなり根本学長大遅刻、七時半開始のはずが八時半ほどに。今回は学長直筆の解説図と共に進むらしい、図はカレンダーの裏に書かれている。あの方みたいな人を理解するには、相合傘のイメージで挑むこと、との説明。相合傘の右側には「オレ私僕自分」左側には「平等平和差別反対自然保護」等と書かれている。学長「お題目が好きなんじゃなくて、お題目を唱えている…オレが好きっ、なんですよ(このあたりの喋りは本当に最高)」
  2. 犬を大量に飼ってる人最新情報。ドキュメント番組で取り上げられていた新しい犬飼う人の話。インタビュアー(以下イ)「どうして二百匹も飼うんですか」犬飼う人(以下犬)「だって死んだら嫌でしょう」イ「犬がお好きなんですか」犬「嫌い」イ「嫌いなんですか?」犬「人間のどんなに憎い奴でも死んだら嫌でしょう」インタビューされながら、拾ったばかりの子犬を逆さまにしたりする犬飼う人。続いてかわっぺりのプレハブで犬の世話をしているイイ顔の男にインタビュー。イ「給料はいくらくらい出てるんですか」イイ顔「もらってねえよ」学長「こういう人が集まるんですよ」
  3. 映画監督蛭子さん第一作「諌山節考」予告編上映。漫画家の蛭子さんから出演依頼の電話をもらい、映画に出ることになった根本学長。ロケ現場へ移動するバスの中で周りを蛭子ワールドに包み込む蛭子エピソードの数々。弁当の事ばかり気にする蛭子さん、パーキングのトイレで小便をしていたら遠足の小学生に囲まれる蛭子さん、携帯電話のメールは打てないのになぜか船券は買える蛭子さん、等々。それらの会話を嬉々として演じる根本学長。弁当を気にする蛭子さんはロケバスが信号で停車すると、その交差点にある牛丼屋と蕎麦屋を見て「昼は牛丼ですかね、蕎麦ですかね、両方でもいいなあ」と言い出し、車が走り出すと「あ、違うのか〜」と言う。真面目なスタッフ達もヘラヘラ笑う蛭子さんに絡めとられて、真面目なままとんでもなく危険なロケを敢行したり。助監督が張り切りすぎて蛭子さんが現場でこっくりこっくりと寝始めたり。最後に蛭子さんの負の因果力(免許取りたての女性に「事故りますよ」と笑顔で言ったら本当に事故る、等)の最新情報を入手、書くと僕にも因果が巡りそうなので書きませんが、蛭子さんはすげえと思います。
  4. 誰かがあの方に前回の夜間中学で流したビデオの話を伝えたらしい、という話。隣に座った竹田君がいつもの緊張のそぶり(背筋を伸ばして首を左右に振る)をし始めたような気がする。怒ったあの方は会場に電話して担当者を説教。学長は「あの方を刺激すると電気菩薩の再販がむにゃむにゃむにゃ」と軽く釘、確かに再販されないとあの素晴らしい著書が多くの人の目に触れないわけでむにゃむにゃ。なのにくだんのビデオを流してしまう学長、ちんこまんこ。学長「あの方のライブ会場で売ってるんですよ、プレミアつけて、でもここで流すと怒るんです、見られたくないっ、って、でも自分は売る」
  5. キャロルの曲と、それをカバーしたクレイジーケンバンドのPV。CDで再販された天井桟敷レコードの中から、おかまの東郷健のあえぎ声に乗せてJ・シーザーが歌う曲をジャケットの映像をバックに。
  6. 続けて東郷健東京都知事選挙に出た時の政見放送。たどたどしくユダヤの陰謀を訴える東郷健。その次の番が何と内田裕也内田裕也氏にインタビューしたら甲高い声で喜んだ話と、学長も又聞きなので確証はないけれど、内田裕也がタクシーの運ちゃんに若いころの悪自慢をされて、我慢しきれずに「僕、ロックンロールやってます!」と言った話。飛び込むときは必ず「ロックンロール!」と叫ぶ内田裕也。そんな内田裕也が「エレキの若大将」にエレキ合戦の司会役で出演したビデオ。「レディースアンドジェントルメン、マイネームイズショーンコネリーなんちって」おどける内田裕也。それから二十年後、政見放送でロックの素晴らしさを語る内田裕也、英語で。ビデオ終了後、勝新の公演に挨拶しに来た内田裕也らに向かって勝新が「捕まるなよ!」と声をかけていたのがとても良かった、と学長。
  7. 最後にケーブルテレビで実況オナニーをする亀一郎のビデオ、十分くらいその様を見つめる我々。妙な緊張感。射精後の安堵。解散。

余談:
 内田裕也が言葉に詰まるところで大爆笑している輩が後ろの席にいたけど、人の弱い部分を見て笑いたいならそういうところに行けばいいと思う。蛭子さんの話をうれしそうに語る根本学長を見ていて気づいたのは、僕らがしているのはきっと「猫の手帳」とかで猫好きがしている愛猫との惚気と同じなのだということ。先日の話につながるけど、あの方や東郷健内田裕也は自己愛が肥大してなんだかわからない状態になってる。彼らの心の相合傘と、世間とのギャップは危ういバランスで世間的にはナシの方に傾いているんだろうと思う。健常者ぶってそれを笑う連中は、自分がそっちに傾くのが怖いから笑って、結局自分は違うんだって表明している訳で、どうにも腹立たしい。世間的にアリなものにも間抜けなものは沢山あるし「人生解毒波止場 」で根本学長が書いていた「電車に飛び込んで死んだお母さんの、最後まで見つからなかった首が宇宙から送る電波をビニール傘で受信する息子の話」に涙したって恥ずかしいことなんて何もない。猫好きは自分と猫の区別なんかついてないんだって事を胸にとめとこう。