絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

物欲の話。

 本屋に行ったら、見たことのないエドワード・ゴーリーの絵本が四冊あったので、今度全部買おうと心に決めた。帰りにコンビニでフルタの食玩レイ・ハリーハウゼンを一個買った、出てきたのは「シンドバッド黄金の航海」のケンタウロス、出来はそれなり、カタログ的造形。前蹄の裏が白いのは仕様かしら。あまり続けて買おうという気が起きないのは、オマケの薄さなのだろうね。WTMのようなマニアの薀蓄が付録でついていれば、もう少し購買欲をそそったのに。なんて、昔はハマーモンスターズが食玩で出た!というだけで喜んでいたのが、贅沢になったものだ。
 もともと、物を収集して喜ぶ性質ではないので、食玩の場合は、箱を開いて数十分間楽しめるもの以外はなるべく買わないようにしている。本を買う時も同じで、勉強や"押さえ"で買うことができない。だから読んでて当たり前、なんて言われる古典の類を随分読んでない。古書店に行くのは、よっぽど好きな作家の絶版本を探す時だけなので、本が笑うほど大量にあるのは、単に捨てられない性分なだけだ。脳の中のように、未整理の情報がそのまま部屋に溶け出して、侵食する。むしろ部屋の中にぶちまけられた情報が僕の脳を作ってきたのだから、部屋を片付ければ頭脳明晰になるのではないか、と考えて本の整理をはじめると、自分の人生の欠片がそこかしこで見つかって、一人でいるとどうしてもノスタルジーに浸りやすくなるので、まったく整理は進まず、頭の中もぼんやりとかすんでしまう。こうやって灰色にかすんだ視界の向こうには何もなくて、それでいて何かをなしとげたような満足感や、時間を消費したあとに残る少しの後悔だけがこめかみのあたりで偉そうに笑っている。にやにや笑いだけが残っている。