絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『フェノミナ』

特殊な能力を持った少女が、酷い目に遭い、その特殊能力で敵を砕く!というタイプの映画は、その表面に様々なコードをちりばめる事で、容易に本来の姿を隠す事ができる。

本来の姿とは、すなわち「少女が好き」という監督の欲望であり「なあ、お前も好きなんだろ?」という、監督の友達探しに似たメッセージを含む、変態性の高いものだ。

そのような映画を観る時には、心してかからねばならない。たとえば宮崎駿の作品に、エコロジカルなメッセージや、人類愛のようなものを感じ、それを偽善と思うのは、無知ゆえの誤解に過ぎないからだ。ましてやそれを基準値にして批判をするなど、愚行にも程があると言えよう。もちろん逆もまた真なりで、少女愛の表象である作品をそれ故に批判するのはカレーを辛いと言うがごとしである。

本作『フェノミナ』は、そういう系譜にある作品だ。

 ジェニファーコネリー演じる主人公は、昆虫との意思疎通が可能な、特殊少女である。彼女は様々な迫害を受けるが、それは彼女の存在を際立たせ、周囲の醜さ、大人や少女ではない只の低年齢女の愚かさを浮き彫りにする。監督がこれでもかとばかりに彼女を酷い目に遭わせるのは、彼女が酷い目に遭うのを観たいからではない、酷い目に遭った彼女が、それでも強く気高く在る姿を観たいからなのだ。そのあたりが理解できない輩には、同じ構造の作品、つまりフェミニズムの見地から見ても遜色のないホラー映画の全てが理解できない。例えをあげるなら「エイリアン」「スクリーム」「ヘルレイザー」などが妥当だろう、奇しくもシリーズものばかりだが、それは、これらの作品の持つ求心力が強力である事の証である(「フェノミナ」にも続編の企画があったが、ダリオアルジェントの多忙により、企画自体が流れてしまったらしい)。

少女を愛で、少女になる、自己達成の究極が不可能事項なら、人はどうするのか?
少女が主人公の素晴らしい映画達は、その答えのひとつになるだろう。

原題:PHENOMENA (PHENOMENA INTEGRAL HARD)
製作年:1984
製作・監督:ダリオ・アルジェント
音楽:ゴブリン
出演:ジェニファー・コネリー