絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『ミディアン』

 デパートのエレベーターやビルの壁面などに――閉塞感を緩和するためなのだろう――貼られている鏡。あの鏡を見たときに訪れる不快感。不意に自分の“本当の顔”を見せられたときの恐怖は、自我の曖昧な子供の頃なら知らず、年をとればとるほどに、増えても減りはしない。もちろん誰もがそのような恐怖に対しては気づかぬふりをする。驚きを隠して笑顔を作り“いつもの”自分の顔に戻して心の平静を保っている。けれど、心の奥底に生じた恐怖は、簡単に拭い去ることができない。
 そんなおり、自宅の鏡を全て割るのも、まあ、良くある事だと思う。
 『ミディアン』は、そういう“本当の自分”の姿が、割とイケてた、というか、超格好良かったら、そんな時はまあ、現実とかどうでも良くなっちゃうよね、という映画だ。
 原作者のクライブバーカーは、ゲイでマゾヒストの変態だ。彼の作った作品は、脳の中心と下半身を刺激する点で、デビッドクローネンバーグと似ている、そういう理由か、どのへんのつながりかはわからないが(まァ想像はできるが、わざわざ書くような事ではない)この作品では、とても重要な、主人公を異界へと誘う役を、デビッドクローネンバーグが演じている。

 不意に鏡を見たときに、誰もが厭な気持ちになるのは、その姿、鏡に映った気の抜けた本当の自分が、理想の自分よりも劣って見えるからだ。そこでバーカーとクローネンバーグは、そんな“本当の自分”は、劣っているのではなく、劣っていると感じる感性が腐っているのだということを教えてくれる。本当の自分を痛みや苦しみを得ながら無理にでも引き出すと、実は素晴らしい夜の世界が見えるのだ、と示してくれる。
 恐れるべきではない、自分が『夜族』であると気づいたものは幸福である、と。

「夜が、こんなにも美しいものだったなんて!」(藤子F不二夫『流血鬼』より引用)

 ぼくは夢想する、本屋のベストセラーコーナーに、クライブバーカーの作品が平積みされる様を、そしてそれを、自分探しの本として、読みふける人々の姿を、ぼくは、待ち焦がれている。
 そして本当の自分を見つけた彼らが、ホー、と叫んで居なくなったとき、ぼくらはあわてて追いかけよう。見失わないように。

『ミディアン』
別題:「ミディアン 死霊の棲む街」
原題:NIGHT BREED
製作年:1990年
日本劇場公開:1990年

監督・脚本:クライブ・バーカー
原作:クライブ・バーカー「死都伝説」
デビッド・クローネンバーグ(デッカー博士)