絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『GoGo』 第十三話 『静かな会話』

 彼と彼女は、エレベーターから部屋に行く間に何がいるのかも気づかないほど興奮していた。二人は気がつくとベッドの上に裸で寝て、巨大な青黒い性器が、濡れて開いた陰部に入るのを感じていた。
 彼女の前方にある、鏡張りの天井が、ゆるやかに波打ちながら目の前に迫り、また遠のいてゆく。ベッドがきしみ、その音が狭い箱の中を埋めてしまう。
「こういう音楽のことを何と表現するか、知っているか」
 男は閉じたドアの前に立ったまま、エスに聞いた。
 知らない、そうエスが答えると、男は言った。
「彼女の声と彼の息遣いと粘液のこすりあう音が、リズミカルなスプリングの打律に合わせて奏でられた。こう表現するんだ」
 自慢げに、遠くを見るように、ジャックはつぶやいた。
 エスがその陳腐な表現を口の端で笑うのも見えないほど、丸いサングラスの奥にある男の丸い眼球は濁っていた。

 エスがジャックに会ったのは三日前、まだ部屋の中で性交している男と女が、組事務所の金庫から書類と金を奪う前の話だ。地下の駐車場で犬の干し肉をくちゃくちゃと噛みながら話す、笹本と名乗る坊主頭の若いやくざが連れてきたのが、ジャックだった。
 笹本は犬の干し肉を噛みながら、エスにジャックを紹介した。曰く拳銃の名手、曰く捕まれば死刑確定、曰く曰く曰く。ジャックは笹本が話している間、ずっと興奮していて、てらてら光る陰茎みたいな視線をエスに向けていた。
 エスはもう、ひとりで、随分の間ひとりで交渉の現場に来るようになっていた。
 車を与えられ、笹本が帰ったあとで、ジャックがひとしきり自慢話を終えると、エスは訊いた。
「笹本さんが犬の肉を食べる理由って、知ってる?」
「さあ、知っているのか」
「知らない」
「あの男に何かをする理由なんてあるもんか」
「そうかな」
「そうだ」
 しばらくエスが黙っていると、男は頼まれもしないのに喋り始めた。
「いいか、男は目を見ればわかる、お前はまだ若いから知らないかもしれないがな、男の価値は目で決まるんだ。笹本の目は死んだ魚の目だ、顔も魚に似ているし、肌も魚みたいにぬるぬるした銀色に見える。あいつが何かをするのは上に頼まれたからするんだし、周りがするからするんだ、理由なんてあるもんか、男の価値は目で決まるんだ」
 ジャックは何度も、目で決まる、目で決まると言った。暗い車の中では、叫んでいるほどに聞こえた。
「笹本さんが大事にしているもの、見たことある?」とエスが訊いた。
「さあ?大事にしているもの?」
「瓶の中に、入ってるの、アルコール漬けの、犬の目玉」
 ジャックは臓躁めいた笑いをたてたが、何かが面白くて笑ったわけではなかった。何が面白いのか、ジャックにわかるわけがなかった。ジャックは笑っていた。
 エスはジャックの目玉を見た。
 サングラスの奥でぐるぐる動く丸い目は、腐った目玉焼きみたいだった。

 ホテルのドアに背をつけて、ジャックは拳銃を取り出した。
 エスがドアの閂に刃をまわしてあてると、軋んだような音がして、金属の小さな部品が落ちた。
 支えをなくしたドアがゆっくり開く。ジャックは息を止めてドアと同じ速度で部屋に入ったが、部屋に入ると結局息を続けるのだった。
 ドアのすぐ近くに、脱ぎ散らかした抜け殻が転がっていた。倒れたかばんから、こぼれる札束と二冊のパスポート。部屋の奥からは意味のわからないわめき声と、腰を打ち付けあう音、ベッドの軋み。短い廊下の奥にある部屋は昼間のように明るく、歩いて近づくと天井を向いた女の両足が見えた。
 拳銃を持ったジャックの腐った口から出る息遣いが荒くなり、後ろに立ったエスにまで聞こえてきた。
 ベッドの縁が見え、二人の股から分泌される粘液がしたたりおちていた。
 部屋に充満する蒸気と熱、ジャックは興奮していた。
 拳銃を構えたジャックが部屋に飛び込み、銃をベッドに向けた。くぐもった軽い銃声が三つ鳴り、ジャックの綺麗な黒いロングコートに穴が開いた。壁に背中をつけて驚いているジャックの腹に、もう二発の銃弾が撃ち込まれ、ジャックはしゃがんでしまう。ジャックのぼんやりした口から大量の黒い血がこぼれて絨毯に落ちた。ジャックの腕がぐにゃぐにゃとベッドの方を向くと、間近に迫った小さな銃から一発の銃弾が飛び出して、可哀想なジャックの胸に大きな穴を開けた。
 硝煙が白くけむり、部屋のライトはジャックの血を浴びて赤く染まった。
 エスはゆるりと部屋に向かった。
 ベッドの上に立った男は、エスに背中を見せていた。ジャックを殺した自慢げな背中には、まだスジ彫りのままの、龍が昇っていた。
 女が気づく前に、エスはベッドの上にふわりと飛び乗り、腕から生えた刃物で、男の後頭部を削いだ。次に痙攣した男を蹴ると、そのまま重なった二人の上に乗った。女は枕の下に手を入れて、エスを見ていた。
 男の後頭部から、赤黒い液体があふれて女の口元を濡らした。
 何秒間か視線を交わし、女は「ありがと」と言って、枕の下で銃爪を引いた。

 部屋には枕の羽毛と硝煙が舞っていた。女の砕けた顔面は笑っていた。哀れなジャックは一度も銃爪に触れないまま、死んだ。ジャックと呼ばれたがった男の死体から、小便が漏れ始めていた。生きているうちに怯えて漏らさなかったのが、唯一のなぐさめだった。

 しばらくすると、部屋に解体屋たちが来て片づけをはじめた。ひとつも目線を合わせないまま、解体屋たちはジャックの死体を小突いて訊いた。
「一緒に捨てて」
 エスはそう言って部屋を出た。

 繁華街を歩きながら、エスはポケットの中から丸いゴルフボール大のぶよぶよしたものを取り出した。ジャックは相変わらずどんよりした目でエスを見ていた。
「あの言葉の意味、わかる?」
 エスは頭の中で、ジャックに聞いた。
 エスが強く握ると、ジャックはぐにゃりと歪んでエスの掌に射精した。
 どろどろした半透明の液体を排水口に投げると、どぶねずみがそれを食べた。