絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

「イノセンス」感想。

 いわゆる普通の映画は、観客の脳にある情報と、映画内で語られる情報を交差させて、感情の動きを生むように作られている。「イノセンス」が面白いのは、観客に対して「それはお前が本当に感じている感情なのか?情報の交点で刺激を受けているだけじゃないのか?」と、問いかけながらも、物語としての解決をしっかりとまとめてしまうところにある。
「本当に君を好きなのかわからない」と言われながら抱きしめられる感じ。どっちだよ、と問いながら、胸に顔をうずめてしまう。監督を信じた観客は喜びと悲しみを同時に味わうのだ。そんな不安や快感を100回もおぼえていたら、脳がどうにかなってしまうだろう。
イノセンス」を観るのは10回くらいにとどめておきたいものだ。

 さて、本作の主人公であるバトーは、失った同僚の面影を追いながら、習慣めいた日々を生きている。事件を追いながら、暴力を振るいながら、どこかむなしいバトーは、失った同僚−草薙素子−が人ではない存在に化したことを誇りに思い、同時に、一抹の寂しさをおぼえている。
 決して戻ることのない過去への憧憬と、起こり得る未来への期待。「イノセンス」はバトーの乙女心を楽しむ映画だ。
 乙女心といえば純愛。全身サイボーグであるバトーと素子の間にはセックスを介在させる必要がない。少なくとも、それ以上の共感が二人の間にはあるからだ。人にあって人にあらず。ラスト、人形を抱いたトグサの娘と人形を交互に見て、バトーは何かを感じる。セックスによって生まれたであろう人間の娘、そしてセックスをせずに生まれた人形。この対比は、家族を持っているトグサと子を残せない犬と暮らすバトー、生身(電脳化のみ)のトグサと全身サイボーグのバトー、というかたちで何度もくりかえされる。
 リルケが「あらかじめうしなわれたこいびとよ」と言うとおり、あらゆるものが「あらかじめ」うしなわれたものとして感じることが人にはある。
 「イノセンス」は乙女心を描く映画ではなく、乙女心があったがゆえに感じる喪失感を描く映画なのかもしれない。乙女心(イノセンス)は失われて想うもの、すでに身のうちから溢れる乙女心を失っているからこそ、僕たちは映画や物語や人にそれを求めるのだろう。
 はるのかぜ ゆれるおとめの イノセンス
 (バトーがお花畑で犬とたわむれている映像をバックにボソボソと素子が詠むイメージ)


以下個人的嗜好
良いところ

人形!OPで組みあがる人形、掌が裏がえると空っぽなところ、水面に映った人形の体が一瞬ベルメールの四本足に見えるところ。キムの義体四谷シモンのアレで、ハラウェイって名前の検死官が性別を無くしてるところ。警備員を殺すガイノイドの動きが、鋭いのに内股で掌が反ってて可愛い歩き方、上階から降ってくるガイノイドが着地アクションなしで床に刺さるところ。

銃!ヤクザの事務所に殴りこんだときのヤクザ共の銃の多彩さ!ガンマニアがうらやましい、だって使ってる銃の音とか、落ちる薬莢の音も、種別で変えてあるんだよきっと、わかんないけど。そんでダゥンとかダキュムとかチャキとかそういう音の厚みなんかも感じられてしまうのだよガンマニアは、うらやましい。

狂気!ハッキングされて見せられた幻覚と、現実の記憶に、明白な区別はない。毎日繰り返すこと、ループして、うっすらと狂っていく恐怖。フラッシュバックがある人は完全に抜いてから観ようね!洒落にならないよ!

犬!バセットハウンドがチャッタッタッハフハウハフって可愛い。六本木ヒルズの試写会では別室で犬映像だけを編集してループしている部屋があって、ずうっとオルゴールの音が流れていた。

キャラ

バトー!前日に原作読み直してあまりのギャクメイカーぶりに眩暈が。本編では渋い男っぷりを見せています。ペットのバセットハウンドが原作の可愛いところの分身なのか?目を丸くするところとか。劇中で右腕を義手に替えて「俺の残りはどれくらいだ?」って医者に聞くところがグっと来る。

トグサ!マイホームパパ。バトーと引用合戦を繰り広げてて格好いいけど、チャットしながら検索するようなものなので実はあまり格好よくない。

素子!バトーに「幸福?懐かしい概念ね……」と言うあたりにシビれた。

 興奮しすぎた。前作「攻殻機動隊」もそうですが、原作の台詞をうまいことカットペーストして全然別のシーンに使ったりしていて、シビれます。前回使わなかったところがガンガン出てきたり。今回は原作の#06と#07がメインでした。チェックしとけ。

悪いところ

女の子役の声優が…あの……下手?……というか…「わーい」って台詞を……「わーい」って言うのは…ちょっと……