絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

『コンスタンティン』に見る、マクガフィンのありかた。

死ぬからね、溺れたら。

 『コンスタンティン』には、爆笑必死の臨死体験シーンがある。地獄に証人がいるから、刑事が地獄に行かなきゃいけなくなって、媒介に水が必要だからって、バスタブの中に服を着たまま入って、そんでしばらく待つんだけど何も起こらなくて、でも胸はエクソシストが押さえ込んでるから水から出られなくて……「あれー?!これって死ぬんじゃない?」って気づいて暴れる。というシーン。
 その真剣な刑事の顔と、水に浸かっているという行為の間抜けさと、刑事が「死ぬよね?」って気づくタイミング。そのあとに訪れるカタルシスとあわせてとても良いシーンでありました。
 キリスト教でホラ、洗礼のときにさ、水に沈めるのがあるでしょう、今調べたら東方教会っていうのね、一緒にしたら怒られるかな。まあいいや。それで、刑事は一瞬死にそうになって、地獄に行くんだ。フラットライナーズ?まあそうゆー感じなんだろうけどさ、めちゃくちゃだよね、死ぬからね、溺れたら。

映画は何かの代替物じゃない。

コンスタンティン』っていう映画は、こうやってキリスト教を面白おかしく改変してしまう。だから真面目なひとから見たら、まともに聖書を描いていないとか、神の教えを冒瀆しているとか言われちゃう。リベラルなひとからさえ「キリスト教に対して無批判だ」とかさ。いやいや「地獄版の聖書」なんて冒瀆以外の何物でもないよね、笑えちゃう。
 そういう「描けていない」系の批判ってのは、映画そのものとは何の関係もない。
 たとえば「天国と地獄のバランス」って言葉が出てきたときに、なんだか難しく考えがちなひとは「政治的・社会的な寓意」だの「グローバリズム批判」だのを背景に置きたがる。それを勝手に置いたうえで、うまく描けてないだとか、遅れているだとか何だとか。
 教えてあげよう「天国と地獄のバランス」とは「天国と地獄のバランス」のことなのです!『指輪物語』における指輪が「世界を統べる指輪」でしかないように、『スキャナーズ』の超能力が「頭が吹っ飛ぶ超能力」でしかないように、映画に出てくるものが、それ以外である必要はないのです。もちろん、監督によってはインタビューで「カラス神父が登場するときは必ず画面の下から上に昇る……これは彼が最後に天に召されることを暗示しているんだ」なんてことを言ったりするひともいるし、基本的にはあらゆる映像表現は文字通り何かを表現しているかもしれないけれど、それは別に映画や監督のインタビューに一言も出てこないような「政治的・社会的な寓意」などではないし、ある必要もない。
 もちろん、政治的・社会的な寓意がタップリのグローバル批判にまみれた映画は、ある。その逆も、ある。だからといって、映画というものがすべていま君がハマっている政治思想的な何かを表現するため「だけ」にあるわけじゃない。

コンスタンティンにおけるマクガフィンのありかた。

 じゃあ映画として優れていたかというと、それには注釈が必要だろう。たとえばこの映画に出てくるマクガフィンは何か、といった問題があるわけよ。
 マクガフィンというのは、ヒッチコックが考えた「登場人物にとっては重要だが、観客にはそれが何であるか明かされないもの」のこと。スパイものなんかに出てくる「取ったり取られたりしているマイクロフィルム」なんかがそれ。マイクロフィルムに何が写っているかは、あまり関係がない。ただそれが「重要」だと観客がわかればいい。それは物である必要もなくて、主人公が陥ってる状況なども指すんだそうだ。
 『コンスタンティン』に出てくる「取ったり取られたりするもの」って、パッと見は「ロンギヌスの槍」なのね。主人公たちはそれを巡って戦うし、劇中でことさらにそれが重要だって言ってるし。だからそう思って見るとサスペンスもないし、うまく描けてないなあ、なんて思ってしまう。でも、マクガフィンの定義をよく考えてみてほしい。それは「登場人物にとっては重要だけど、観客にはそれが何であるか明かされないもの」なんだよ。おれたちは『コンスタンティン』を観ていて「ロンギヌスの槍」が何で、どうして重要なのか全部わかっていたはずだ。てことは、これはマクガフィンじゃない。
 それでも『コンスタンティン』には、マクガフィンが出てくる。それは何か。
 「肺ガン」だ。
 肺ガンはコンスタンティンを死へと向かわせ、死を避けるために彼は行動を起こさざるを得ない。肺ガンに関する医学的な説明はなく、神学的な解釈も行われない。みんな「そんな生活をしていれば当たり前だ」とはぐらかすだけ。
 でも、肺ガンがあるから、観客はコンスタンティンの「肺ガン→死ぬ→一回自殺している→地獄行き→嫌だ」という連想を、何の疑問もなく受け入れることができる。コンスタンティンには逃げ道がない、劇中では何度も「自殺したヤツは地獄に行く」という説明がされているからだ。
 そして、結果は見てのとおり。医学的な説明は何もされないまま、ただ物語の流れにそって、コンスタンティンの肺ガンは○○によって○○される。まるで、スパイの手によって主人公の体に埋め込まれたマイクロフィルムが、別のスパイの手に渡るように!
 とまあこんな感じで『コンスタンティン』はかなり楽しめる映画だ。もちろんキリスト教モノ」好きにはたまらないセリフや場面もたくさんあるし、描写も凝っていて見ごたえがある。何かの最高傑作ではないかもしれないけれど、けっして駄作として蹴り飛ばされていい映画ではない。まだ観ていないひとも、観て「?」となったひとも、再びこの映画に出会うことをお勧めするのであります。

コンスタンティン [UMD]

コンスタンティン [UMD]

*この記事は過去ログに加筆修正したものです。

ワスの遺伝子

タダーヲさん、じゃなかった大沢タカーヲさんのこれ読んでたおれた。

ウチら日本人は、英語をしゃべるアメリカ在住の人たちを仲介して見てるから、おっかねぇと思いつつ、ある種の他人事みたいな感覚で楽しンでると思うンですね。
うーン、ちょっと説明がヘタですね。ということで、以下にわかりやすい例を記します。
前夜の暴風雨により、通信と電気が遮断された、長野県のとある田舎町。風景写真を専門とするカメラマン・高島政宏は、息子と近所のスーパー”いなげや”に買い物に行くことにする。
http://d.hatena.ne.jp/tada-wo/20080521/1211336021

ウィルス、というのはとても変なやつで、生き物かどうかもあやしい、ってところが面白い。
ウィルスがどうやって増えるかってゆーと、普通の生き物は細胞分裂とか起こして増えるじゃんかぁ、でもウィルスは細胞に自分の遺伝子を注入して、複製を作らせて増えるワケですよ。
別に深い意味はないんだけどさぁ・・・