絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

うそをつくな。

なんか前に「若者を徴兵すればニート問題解決する」みたいな意見を聞いた時も思ったんだけど、
誰がズブの素人である徴農された若者たちに仕事を教えるんだろう。
http://d.hatena.ne.jp/./matuoka/20060914#1158206226

 徴兵も徴農も、どちらも特殊技能が必要とされる重労働であるという事実が忘れられているのではないか、という指摘。さらに

すべてのニートに対して農業従事させるということで80万人のニートに5000万ずつ与えるということで、40兆円使うということですか、もっとまともなこと考えろよバカ
http://d.hatena.ne.jp/./orangestar/20060911/1157915248

 そもそもニート問題は「無気力な若者」だけの問題ではない、という指摘
 で、気になったので元の記事を読んでみた。びっくりしたので全文引用。

 ≪“徴農”でニート解決…稲田朋美衆院議員≫
 藤原正彦お茶の水大教授は「真のエリートが1万人いれば日本は救われる」と主張している。
 真のエリートの条件は2つあって、ひとつは芸術や文学など幅広い教養を身に付けて大局観で物事を判断することができる。もうひとつは、いざというときに祖国のために命をささげる覚悟があることと言っている。
 そういう真のエリートを育てる教育をしなければならない。
 それから、若者に農業に就かせる「徴農」を実施すれば、ニート問題は解決する。そういった思い切った施策を盛り込むべきだ。
 教育基本法愛国心を盛り込むべきだ。愛国心が駄目なら祖国愛と書くべきだと主張したら、衆院法制局が「祖国という言葉は法律になじまない」と言ったが、法律を作るのは官僚ではなく国会議員だ。
 安倍さんにとって教育改革は最も取り組みたい課題なので、頑張りたい。
http://www.sankei.co.jp/databox/kyoiku/200609/060904b.html

「しなければならない。/それから、若者に」の改行部分がすげえキチガイ
 あんまり難しい政治のことなんかはわからないけど、少なくとも「芸術や文学など幅広い教養を身に付け」るだけじゃ日本は救えないと思うよ、その方向でいきたいなら、プチ村上隆を量産して外貨を稼いで税金いっぱい納めさせた方がいいと思う。
 で、愛国心だか祖国心だか知らないが、本当は命じゃなくて金だろう、ささげてほしいのは。
参照

首相の靖国神社参拝に反対する人は教育や財政に口出ししてはいけない、という大変ユニークかつ明快な主張ですね。
http://d.hatena.ne.jp/good2nd/20060912/1158074019

こうして「ニート」概念が当初のエデュケイションなんとかエンプロイなんとかって意味から「やる気のないヤツら」という意味にどんどんシフトしていく
http://d.hatena.ne.jp/secondclass/20060913

稲田朋美衆院議員が知るべきこと。

 芸術というものはまったく変なものだ。
 まず「うそをついていい」という最初の決まりがひどい。これは小説や映画に顕著だが、どれだけうまくおおきなうそをつくか、というのが見所だったりする。まあ芸術も、現代芸術とかいうやつは「価値創造」などとは言うが結局は「信長さま4才時の頭骨でございます」とあまり違いない。技術は全てうそのためにあり、映画の項でも書いたがおれたちはちらつく光と影を見て泣いたり笑ったりするのである。
 もちろん、そこが素晴らしいのだ。素晴らしいけれども、米を作ったり、茄子を作ったり、家を作ったりすることに比べては、とても威張れたものではない。余暇に人生を賭けるから、芸術家は「変な奴だが面白い」と言われて生きていけるのである。他の誰がくだらないことに一生を費やせるか、ほとんどの者が日々の糧を得るために芸術を捨てるのだ。
 おお、俳優というのはもっとひどい。うそをつくうえに、そのうそは自分の言葉ではないのである。これはまあ小説の世界で言うらしいのだけど「まず他者の言葉で語れ」というのがある。何で読んだかは忘れた。卑近に解釈すれば「自分の口から出た言葉を妄信するな」とかそういう意味だろう。小説なら手か。
 余談だが、昔からやっているシンガーソングライターのかたの多くは、楽譜を手前に置いて歌う。それは、勝手にその場の気分で曲を作り変えたりしないように、そうしているのだ。歌うという行為もまた、他者の言葉を利用するという行為である。だから自分で作った詩や曲を、一度自分のものではなくするために、楽譜に変えて外在化するらしい。もちろん完璧に再現できるなら楽譜は必要ない、ダンスや芝居は楽譜(もしくはそれに類するもの)の存在によって表現形が変化してしまうから、そういうものは使わないが、やはり勝手に変えていいものではない。どうやらその辺に「演じる」ということの本質があるように、おれは思っているようだ。
 本題に戻る。芸術や文学というものは、うそでできている。人間にはうそをつく機能がもともとあって、それをうまく利用したのが芸術や文学だ。
 だから下手なうそをついている奴を見ると、ああこいつは鍛錬がなってない、と思うのである。そういう連中が「芸術は良いものだ」と勘違いして、エリート育成のどうのと言い出すのだ。ひとの言葉を自分の言葉と勘違いして、垂れ流すのだ。うそをつくにも訓練が必要なのだ、なめるな。