絶叫機械

造形する脚本家、麻草郁のブログ。

id:hon:20040710

つくづく思い知らされましたよ。
とっくに、地上のあらゆる場所で、
『意地でも絶望しないよコンテスト』が、
始まっていたってことをね。

 ぼくは野球ファンが嫌いだ。夏になると当たり前のように「どこが勝つと思います?」と話しかける奴が、前日の試合結果を聞いてくる奴が、嫌いだ。タイガースが優勝するときに沸いて出た、にわかタイガースファンなんて、全員道頓堀に沈めばいいと思った。連中は対象が何であれ、同じもので熱狂できればいいのだ。
 ぼくは野球ファンが嫌いだ。そば屋でテレビを見ながら「あいつはダメだ」と批評家きどりの悪口を言う男が、空港から出てくる選手に黄色い歓声を投げかける女が、野球帽を逆さにかぶって街中でボールを投げあう子供が、嫌いだ。
 生まれてこの方、キャッチボールは三回しかやったことがない。それを知って異常扱いし、哂った連中の指は、今だって目の前にあれば折ってやりたい。
 だけど、こんなことは、ひどすぎる。誰がそこまで「野球ファン」を憎めるだろう。
 野球も、野球ファンも、なくならないでほしい。いつまでもぼくをイラつかせてほしい。
 これは焚書だ。あらゆる娯楽への、破壊の第一歩だ。
参考
プロ野球の「何が」生き残ろうとしているのか

重要なのはエンジンの改革であって、その為に避けられないなら、ファンはUI(ユーザーインターフェース:引用注)の変更を受け入れるべきかもしれない。しかし、オーナー側は、エンジンの改革を先延ばしにする為の隠れ蓑として、UIの改革を使っているのではないか。

 日本語から漢字を減らした連中の意図も、そこにあったような気がします。インターフェースが簡略化されれば、思考の幅は狭まるから。ただ、選挙に対しては「誰に投票しても一緒だ」という、民主主義のUIを否定する意見が出るのは投票者からなんですね。もしかしたら『意地でも絶望しないよコンテスト』の参加者、けっこう少ないのか。